『夏の庭 The Friends』

湯本香樹実



あらすじ

町外れに暮らすひとりの老人をぼくらは「観察」し始めた。
生ける屍のような老人が死ぬ瞬間をこの目で見るために。
夏休みを迎え、ぼくらの好奇心は日ごと高まるけれど、不思議と老人は元気になっていくようだ。
いつしか少年たちの「観察」は老人との深い交流へと姿を変え始めていたのだが・・・・。
「死んだら、どうなるんだろう。それでおしまいなのかな…それとも」
「お化けはいる。ただね、お化けっていうと…なんていうか、ふわふわ軽いものみたいに今まで思ってたんだ。
だけど…きっと重いんだよ、ものすごく。砂をつめた袋みたいに重い」
もし山下の言うように、死んだ人というのがただの物体なら、お化けも物なのだ。
もしかすると、歳をとるのは楽しいことなのかもしれない。歳をとればとるほど、思い出は増えるのだから。
そしていつかその持ち主があとかたもなく消えてしまっても、思い出は空気の中を漂い、雨に溶け、土に染みこんで、生き続けるとしたら…
いろんなところを漂いながら、また別のだれかの心に、ちょっとしのびいこんでみるのかもしれない。
時々、初めての場所なのに、なぜか来たことがあると感じたりするのは、遠い昔のだれかの思い出のいたずらなのだ。
「オレ、心配なんだ
この家のこと、忘れちゃうんじゃないかって思うと
だからこの敷石だけは、絶対おぼえてようと思う。
オレ、頭悪いけど、ひとつくらいならおぼえてられると思うんだ。」
「おまえ、大人になったらなんになる」
「まだわからないけれど 何ってわけじゃないけれど、何か書こうと思う」
「小説家か」
「そんなの、なれるかどうかわからないけれど
だけど、ぼくは書いておきたいんだ。忘れたくないことを書きとめて、ほかの人にもわけてあげられたらいいと思う。
いろんなことをさ、忘れちゃいたくないんだ。」
「オレ、もう夜中にトイレにひとりで行けるんだ。こわくないんだ
だってオレたち、あの世に知り合いがいるんだ。それってすごい心強くないか!」


風景描写や詩的表現や「ぼく」の回想などはどうしても大人が子供のふりをしているようで作者の影がちらつき、どうもいただけなかった
おもしろい表現もあったが
おじいさんが「観察」されることできちんとした生活をおくり始めるのはほほえましかった。
自分んちが監視カメラで観られている妄想をして急にキチッとするのと同じかんじで共感を覚えた。


小説家のくだりはこのブログの主旨と同じで驚いた
忘れないように書きとめたいという


俺は二回 死を間近で経験している
一回目はペットのハムスターが死んだとき
二回目は母方の祖父が死んだとき
どちらも泣かなかった

山下君の葬式と同じ感じだ
小さい時だったしそこまで感情的にならなかった
ただ ドッキリのように感じたのはおぼえている
行っちゃ悪いが、祖父の時に足袋をはかせるのを手伝ったが触れるのがすごく嫌な怖いような感じがした

死が突然あっさり訪れる感じがよく伝わった
ただ 重松清の『その日のまえに』の「死は突然来るものではないんだ」というフレーズも思い出した。

死については考えたこともあるが自分の考えとしては
・生きている間に何か残す
・後世に何か伝える
を目標にしている
それは子供であったり家族であったり小説であったり財産であったり目に見えないものであったり


その意味でおじいさんは全うしている
三人に常識、知識、技術、自分の経験とか色々伝えている
親にしても教師にしてもなんで自分のことをもっと話さないんだろう
すごく大切なことのような気がするのに
自分は子供ができたら色々な話をしてやりたいと思っている


最後の別れのあの何とも言えない感じは友達が卒業式で言った
「このまま さようならでもしかしたら一生会わない奴とかも絶対でてくるよな」
という言葉を思い出した