『壬生義士伝 上・下』

浅田次郎

すごくおもしろかった
新撰組吉村貫一郎の話
新聞記者が吉村貫一郎の関係者からインタビューする形式と貫一郎の独白で話が進む

貫一郎と同期の元新撰組で現在居酒屋の店主
貫一郎の教え子で千秋と嘉一郎の同級生で現在原敬の書生の桜庭弥之助
貫一郎の後輩の元新撰組 顔が半分欠けた池田七三郎
新撰組現在警視庁の非職警部の斉藤一
貫一郎の親友の大野次郎衛の息子 貫一郎の息子の嘉一郎の親友 現在奉天の医者大野千秋
大野次郎衛の中間の佐助
再び最初の居酒屋店主
貫一郎の次男貫一郎

盛岡行ってみたいな
まさに時代に翻弄されたって感じ
侍は頭かたくて単純に死にたがりって感じで嫌いだったんだけど
これ見て生活とか家族とかちょっと身近に感じることができた

p83
人を生かすのは、人を殺すより難しいってことを、俺は思い知らされたな。

p101
人間、強えばかりじゃだめだぜ。その強さを世間にわからせる知恵がなけりゃ。

p103
敵は不逞浪士ばかりじゃあねえよ、うっかりすりゃいつなんどき、仲間の密告讒言で詰め腹を切らされるかわからねえんだ。へたすりゃついさっきまでくみ交わした酒の醒めぬ間に寝首をかかれる。
へ。そんなこたァきょうびの会社にもあるってか。
なるほどなあ。だがよ旦那、ひとっつだけ俺たちとあんたらがちがうところを教えとこうかい。
いいか、上司からひとこと「首」と言われたら、俺たちゃ本当に首が胴から離れたんだぜ。

p183
わしら南部の侍は、徳川幕府慶喜のために戦ばしたのではねぞ。
そんたなものに、武士の命ばかけられるものか。わしらはまげてはならぬ義のために戦ばしたのじゃ!

p274
「君は、義というものが何だか、知っていますか」
「少なくとも、武士の踏むべき正しい道のことではない。人の踏むべき、人として歩まなければならぬ正しい道のことです。だから義を貫くのであれば、たとえ武士道をたがえても人の道を踏み誤ってはならない。これからは僕も、大義とは人の道であると信じることにしましょう」

p388
「どのみち死ぬのは、誰しも同じだ。ここでよいと思ったら最後、人間は石に蹴つまずいても死ぬ。戦でなくとも、飢えて死んだり、病で死んだりするものだ。だが生きると決めれば、存外生き延びることができる。」

p389
「何ができると言うほど、おまえは何もしていないじゃないか。生まれてきたからには、何かしらなすべきことがあるはずだ。何もしていないおまえは、ここで死んではならない」
「それともおまえは、犬畜生か」
いえ、人間です―そう答えたとたんに涙が出ました。

p389
ことあるごとに、千両松の戦場で吉村先生の言って下すった言葉を思い出しちまうんです。
泣きながらいつも胸の中で呟きました。
先生。あたしはかかあを貰いました。ぶすだけれど、こんな顔のあたしに抱かれてくれるかかあです。
先生。倅が生まれました。孫が生まれました。新しいお店が出せました。
先生。銭を儲けて、しこたま税金を納めて、柄になく寄付なんぞもして、東京の市長さんから立派な感状をいただきました。
あたしは、人間です。

p57
わしらをがんじがらめに括っておった武士道というもの。吉村は身を以てその武士道の人道に対する矛盾を提議しておった。

p67
「すまぬ。久しぶりに飯を食うたら、力が余ってしもうた」

「盛岡の桜は石ば割って咲ぐ。盛岡の辛夷は、ほれ見よ、北さ向いても咲ぐではねえか。んだば、おぬしらもぬくぬくと春ば来るのを待つではねえぞ。南部の武士ならば、みごと石ば割って咲げ。盛岡の子だれば、北さ向いて咲げ。春に先駆け、世にも人にも先駆けで、あっぱれな花こば咲かせてみよ」

p178
「父が、みつにこんたな幸せば下さんした。提灯ばかがげて、嫁入り道中の足元をば照らして下さんした」
「いんや、覚ておりあんす。父はみつの顔ば舐めて下さんした。口ば吸うて下さんした。名前ば呼び続けて下さんした」

p237
男なら男らしく生きなせえよ。潔く死ぬんじゃあねえ、潔く生きるんだ。潔く生きるてえのは、てめえの分を全うするってこってす。てめえが今やらにゃならねえこと、てめえがやらにゃ誰もやらねえ、てめえにしかできねえことを、きっちりとやりとげなせえ。
そうすりゃ誰だって、立派な男になれる。

p280
男の道は義の道でござんす。要は、天朝様への忠義の道をとるか、会津様との信義の道を守るかてえことだった。だから忠義を選んだ秋田の佐竹様が憎かったわけじゃあねえ。私らは薩長の虫がついた天朝様より、見たまんまで何の嘘もねえ会津様との信義を重んじただけでござんす。

p329
たぶん榎本は生きてえ虫で、土方は死にてえ虫だった。そのよしあしはわからねえ。ただ俺の心の中にも、榎本と土方は巣食っていたのさ。生きてえ虫と、死にてえ虫がな。