『カラマーゾフの兄弟 上・中・下』

おもしろかった
でもおれは罪と罰の方が好き
ちょっと長すぎるのと登場人物多すぎ

欲の塊の父フョードル
長男 感情的なドミートリイ
次男 冷徹なイワン
三男 物静かなアリョーシャ
召使い 実子かものスメルジャコフ

登場人物多すぎてアリョーシャが主役になりきれてない
複雑に絡みすぎてあらすじさえ書けないわ

信仰がテーマなのかな
宗教にそんな興味ないからな
裁判のシーンはすごいね
検事と弁護士のいいあい
最終的に現代社会の問題点に昇華していく
結局は自分が正しいと思うことをするだけなはずなのに
ドストエフスキーの登場人物はすぐ気が狂うからなあ

もう少し風呂敷をめっちゃ広げるんじゃなくて
いくつかに焦点を絞って欲しかった


むっちゃ時間かかった
2か月くらいずっと読んでたかな





p10
しかし、変人ぶりや奇行は、世の注目をひく資格を与えるというより、むしろ損なうものである。特に、だれもが個々の現象を総合して、全体の混乱の中にせめて何らかの普遍的な意味を見いだそうと志しているような時代にはなおさらのことだ。奇人とはたいてい個々の特殊な現象だからである。

p47
「ひょっとすると彼は、人口百万の見知らぬ都会の広場にいきなりただひとり、無一文で置き去りにされても、決して飢えや寒さで滅びたり死んだりすることのない、世界でたった一人の人間かもしれないね。なぜって、あの男ならすぐさま食事や落ち着き場所を与えられるだろうし、かりに与えられないとしても、自分からさっさと落ちつき場所を見つけるだろうよ。しかも、彼にとってはそれが何の努力や屈辱にも値しないのだし、落ちつかせてやった相手にとっても少しも重荷にならぬばかりか、むしろ反対に喜びに感じられるかもしれないんだからね」

p136
「自分は人類を愛しているけど、われながら自分に呆れている。それというのも、人類全体を愛するようになればなるほど、個々の人間、つまりひとりひとりの個人に対する愛情が薄れてゆくからだ。
(中略)
個々の人を憎めば憎むほど、人類全体に対するわたしの愛はますます熱烈になってゆくのだ。」

p285
「彼女が愛しているのは自分の善行で
、俺じゃないんだよ」

p599
「ブルガリヤでは、トルコ人やチェルケス人たちがスラブ人の一斉蜂起を恐れているということだ。つまり、焼き殺したり、斬り殺したり、女子供に暴行したり、捕虜の耳を塀に釘で打ちつけて、朝までそのまま放っておき、朝になってから縛り首にしたりするなど、とうてい想像もできぬくらいだよ。実際、ときによると《野獣のような》人間の残虐なんて表現をすることがあるけど、野獣にとってこれはひどく不公平で、侮辱的な言葉だな。野獣は決して人間みたいに残酷にはなれないし、人間ほど巧妙に、芸術的に残酷なことはできないからね。虎なんざ、せいぜい噛みついて、引き裂くくらいが精いっぱいだ。人間の耳を一晩じゅう釘で打ちつけておくなんてことは、虎には、かりにそれができるとしても、考えつきやしないさ。ころが、そのトルコ人どもは性的快と感を味わいながら子供たちまで痛めつけ、妊婦の腹から短剣で赤ん坊をえぐりだすことからはじまって、母親の目の前で赤ん坊を宙に放りあげ、それを銃剣で受けとめるなんて真似までやってのけるんだ。母親の目の前でというのが、いちばんの快感になっているんだよ。ところが、ひどく俺の関心をひいた一つの光景があるのさ。まあ想像してごらん、ふるえおののく母親の手に乳呑児が抱かれ、入ってきたトルコ人たちがそのまわりを取りかこんでいる。やつらは楽しい遊びを思いついたもんだから、赤ん坊をあやし、なんとか笑わせようとして、しきりに笑ってみせる。やっと成功して、赤ん坊が笑い声をたてる。と、そのとたん、一人のトルコ人が赤ん坊の顔から二十センチ足らずの距離でピストルを構えるんだ。赤ん坊は嬉しそうに笑い声をあげ、ピストルをつかもうと小さな手をさしのべる。と、突然、その芸術家がまともに赤ん坊の顔をねらって引金をひき、小さな頭を粉みじんにぶち割ってしまうんだ……芸術的じゃないか、そうだろう?ついでだけど、トルコ人は甘い物が大好きだそうだ」
「もし悪魔が存在しないとすれば、つまり、人間が創りだしたのだとしたら、人間は自分の姿かたちに似せて悪魔を創ったんだと思うよ」

p614
「俺は、やがて鹿がライオンのわきに寝そべるようになる日や、斬り殺された人間が起き上がって、自分を殺したやつと抱擁するところを、この目で見たいんだよ。何のためにすべてがこんなふうになっていたかを、突然みんながさとるとき、俺はその場に居合わせたい。地上のあらゆる宗教はこの願望の上に創造されているんだし、俺もそれを信じている。」

p68
「いまさら日数なんぞ数えて何になりますか。人間が幸福を知りつくすには、一日あれば十分ですよ」

p104
一人でこっそり富を貯えて、いまや俺はこんなに有力でこんなに安定したと考えているのですがあさはかにも、富を貯えれば貯えるほど、ますます自殺的な無力におちこんでゆくことを知らないのです。なぜなら、自分一人を頼ることに慣れて、一個の単位として全体から遊離し、人の助けも人間も人類も信じないように自分の心を教えこんでしまったために、自分の金や、やっと手に入れたさまざまの権利がふいになりはせぬかと、ただそればかり恐れおののく始末ですからね。個人の特質の真の保証は、孤立した各個人の努力にではなく、人類の全体的統一の内にあるのだということを、今やいたるところで人間の知性はせせら笑って、理解すまいとしています。しかし今に必ず、この恐ろしい孤立にも終りがきて、人間が一人ひとりばらばらになっているのがいかに不自然であるかを、だれもがいっせいに理解するようになりますよ。

p313
それというのは、『すべては許される』と考えたからです。これはあなたが教えてくださったんですよ。あのころずいぶんわたしに話してくれましたものね。もし永遠の神がないなら、いかなる善行も存在しないし、それにそんなものはまったく必要がないって。

p323
強制でどんな信仰が生まれるというんだい?おまけに、信仰にはどんな証拠も役に立たないんだ、とくに物的証拠なんぞね。トマスが信仰を持ったのは、復活したキリストを見たからじゃなく、それ以前から信仰を持ちたいと願っていたからだよ。

p371
『神さまはきっと勝つ』
『真実の光の中に立ちあがるか、それとも、自分の信じていないものに仕えた恨みを自分やすべての人に晴らしながら、憎悪の中で滅びるかだ』

p459
彼はこの論告を自己の傑作と、生涯の傑作であり、白鳥の歌であると見なしていた

p633
こんなふうにどちらも、ほとんど意味のない、狂おしい、ことによると嘘かもしれぬ言葉を互いにささやき合っていたが、この瞬間にはすべてが真実であったし、彼ら自身がいちずに自分の言葉を信じていた。