『邂逅の森』

熊谷達也

おもしろかった
ストーリーとしてはあらすじのまんまだけどマタギっていう職業は興味深いな
山の神様を敬いながらその存在を疑う主人公
文枝の夫が暴力ふるっててアンダーユアベッドを思い出した
それぞれ猟においても個性が出てて面白かった
あいつは頭になれる器量があるとかあいつの掛け声は大きいとかちゃんとぎりぎりまで待って撃てるとか

p29
さまざまな掟や近畿があるマタギの世界には、獲ってはならないとされている動物が幾つかある。そのひとつが、月の輪がまったくない、全身が真っ黒のツキノワグマ、ミナグロだった。
ミナグロは、山の神様の使いであり、化身でもある。もし間違えて獲ってしまったら、獲ったクマのすべてを山の神様に供えて祈りを捧げ、赦しを請わなければならない。さらにそれだけではなく、そのマタギは「タテを収める」必要がある。その後はいっさいのマタギ仕事をやめなければならないのだ。

p42
マタギが猟のために山入りする際、守らなければならない掟や禁忌には、女に関するものもある。たとえば、山入り中には、女の話や色話をしてはならない。なぜなら山の神様は女の神様、しかもひどい醜女なので、マタギたちの女の話に嫉妬して獲物を授けなくなる。

p49
三人の頭の中で、今回の不猟とミナグロとの因果関係は、既にどこかに追いやられていた。それはそれ、これはこれ。信心深いマタギではあるが、こういう部分は案外合理的というか、ご都合主義なのである。

p57
山の獣は、人間の欲望で獲るものではなく、山の神様から授けられるものだとわかっているつもりだ。

p60
正式な決まりごとなど何もないが、アメ流しは嫁探しの場でもあるのだ

p89
穴に入る前のクマは、自分の足跡を消そうとして、必ずと言ってよいほど、いったん沢に入る。

p227
マタギならば、絶対に銃を肩に担いで持ち歩かないからである。
鉄砲や猟具を肩に担ぐと山の神様から獲物が授からなくなる。マタギの間ではそう言い伝えられているが、実際のところ、あんなふうに筒先を後ろに向けて持ち運びされたのでは、危なくてたまったものではない。また、物を肩に担ぐと手の自由が奪われ、険しい雪山を歩く際の危険がぐんと増す。

p365
「俺の―俺の体には、鬼がいる―」
ふいに、小太郎と同じ言葉をイクは漏らした。
目を逸らさずに富治は言った。
「俺はクマ撃ちだすけ、鬼の一匹や二匹、なんぼでも撃ってやれるでな」

p504
それにしても、何ゆえ、山の神様は、そうまでして自分を試そうとするのか。
タテを収める潮時かどうか、こちらのほうから尋ねようとしたことが気に入らないのだろうか。
たぶんそうなのだろうと思った。
邪念を捨てて、ただ一心にマタギ仕事に臨んでいれば、やがて、今がそうだと山の神様のほうから諭してくれるというのが、本来のあり方なのだろう。それを待たずに、こしゃくにも回答を迫ろうとした人間に対して、山の神様が腹を立てたとしても不思議ではなかった。
俺は山の神様を怒らせてしまった。

p535
すぐれた文学は、読み手に、自分のそれとは全くちがう人生を体験させてくれる。