『ライ麦畑でつかまえて』

J.D.サリンジャー

まあまあ
雰囲気を楽しむ本だな
何でここまで評価高いのかな
みんな自由勝手に動くことにあこがれるのかな
ろくでもない奴が多いってのは確かに



「パン屋の女房」 レイミュ
「三十九夜」 ロバート・ドーナット
「リトル・シャーリー・ビーンズ」ロバート・バーンズ
ライ麦畑で会うならば」


p17
大人ってのは、いつだって、全く自分たちの言う通りと思うものなんだ。こっちは知っちゃいないやね。ただ、年相応にふるまえって大人から言われると、ときどき退屈しちまうだけさ。ときには僕は、年よりもずっと大人びたことをやることがあるんだ―ほんとだぜ―ところが大人はそれに気づかない。大人ってのは、なんにも気がつかないんだからな。

p29
何をやったかというと、家族の誰かが死んだときに、一個五ドルばかしで埋めてもらえる葬儀屋を、アメリカじゅうに開いたのさ。見物だぜ、オッセンバーガーって奴は。
(中略)
自分はいつでもイエスと話をしてるって言うんだ。車を運転してるときでもだってさ。これには参ったね。あのとんだインチキ野郎がさ、車をトップ・ギヤに入れながら、もう少々死体をお恵み下さいってイエスに頼んでるとこが目に見えるみたいだ。

 

p186
コロンブスのことなんか、誰もろくに気をつけて見てやしなかったけど、でも、いつだってキャンデーやガムやなんかをいっぱい持ってったからね、講堂の中はとてもいい匂いがしたんだ。雨が降ってないときでも、外は雨が降ってて、自分たちだけが雨のあたらない気持ちのいいところにいるみたいな、なんかそんな気持ちにさせる匂いだったな。

p206
「いや、大学やなんかへ行ったりした後では、すばらしいとこへなんか行けやしないって言ったのさ。よく耳をあけて聞いてくれよ。すっかりようすが変わっちまうぜ。僕たちは、旅行カバンや何かを持って、エレベーターで下へおりるってなことになるさ。みんなにいちいち電話をかけてさ、さよならを言って、行くさきざきのホテルやなんかから絵葉書を出さなきゃなんないだろう。僕はどっかの会社に勤めて、どっさり金をもうけて、タクシーやマジソン街のバスで会社に通ったり、新聞を読んだり、しょっちゅうブリッジをやったり、映画に行ったり、くだんない短編映画や近日上映の予告篇やニュース映画を見たりするわけだ。ニュース映画ってのがまたオドロキだからな。いつだってばかばかしい競馬だの、名流婦人が進水する船に瓶をぶつけるとこだの、チンパンジーがパンツをはいて自転車に乗るとこだの、そんなのばっかしなんだから。ぜんぜん変わっちまうよ。僕の言う意味が君にはてんでわかってないんだな」

p269
「とにかくね、僕にはね、広いライ麦の畑やなんかがあってさ、そこで小さな子供たちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子供たちがいるんだ。そしてあたりには誰もいない―誰もって大人はだよ―僕のほかにはね。で、僕は危ない崖のふちに立ってるんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転がり落ちそうになったら、その子をつかまえることなんだ―つまり、子供たちは走ってるときにどこを通ってるかなんて見やしないだろう。そんなときに僕は、どっからか、さっさととび出して行って、その子をつかまえてやらなきゃならないんだ。一日じゅう、それだけをやればいいんだな。ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げてることは知ってるよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げてることは知ってるけどさ」