『姑獲鳥の夏 上・下』

京極夏彦

まあおもしろかった

小説の構造としては
最初に妖怪や幽霊や呪いの理論の解説
そして取り調べ
その後どうみても陰陽師のように京極堂が事件を解決
その後どうしてああいうことをしたか解説

すごくよく練られてんだけど
いかんせん話が飛ぶ
主人公の記憶が戻ったり狂ったり夢があったり恋心があったりとびとびで本筋が見えにくい

結局誰が日記を隠したんだろう
まあ涼子かな

なんか超常現象を否定してる感じはトリックみたい
ただそれがより心理的分野で分析解決してる感じ

片手間に小説を書いてみたっていうにはレベル高すぎだろ
主人公の駄目っぷりと京極堂の万能っぷりがやばい



シャルル・ボネ症候群

p43
「動物なら生きているだけで恍惚感を持てたんだ。しかし社会が生まれ、言葉が生まれて、この脳の麻薬だけじゃ不足になって、人は幸福を失った。そして怪異を手に入れた。さらに失った幸福を求めて宗教が誕生した。代用麻薬だね。アヘンだのモルヒネだのというのは代用の代用さ。宗教は麻薬だといった共産主義者がいたんだが、卓見だね―」

p61
「全部の塔に納まっている骨片を集めると、丁度象一頭分くらいの骨の量になるそうだ。さあ、そこで先生はこの話をどう思う?」
「どうって、馬鹿馬鹿しい話だ。そこまでして、嘘を吐いてまで寺院は権威づけをしたかったのか、それとも分骨の際に水増しした奴でもいるのか―」
「だから想像力がないというんだよ。どうして、へえ、お釈迦様はそんなに大きな人だったのか、と考えないんだい」

p151
「そもそも起こる筈のないことは起こらない。それが僕の持論だ。」

p15
「密閉した硝子瓶に人の精液をたっぷりと満たし、馬の体温と同じ四十度の条件で寝かせておく。すると段段に透き通った人型になって来る。これを新鮮な血液で培養すると一回り小さいが人間に似たものが生まれる。これがホムンクルスと呼ばれる。勿論嘘八百だ。」

p29
「つまりね、怪異の形を決定する要因は、生きている人、つまり怪異を見る方にあるということだ」
「つまりね、男が見るウブメは女、女が見るウブメは赤ん坊、そして音だけのウブメは鳥なんだよ。そしいてこれらは皆、同じものとして認識されていたのだ。」

p320
「日常と非日常は連続している。たしかに日常から非日常を覗くと恐ろしく思えるし、逆に非日常から日常を覗くと馬鹿馬鹿しく思えたりもする。しかしそれは別のものではない。同じものなのだ。世界はいつも、何があろうと変わらず運行している。個人の脳が自分に都合良く日常だ、非日常だと線を引いているに過ぎないのだ。いつ何が起ころうと当たり前だし、何も起きなくても当たり前だ。なるようになっているだけだ。この世に不思議なことなど何もないのだ。」