『告白』

町田康

微妙
テーマは思弁的過ぎて人とうまくコミュニケーションをとれないということ
独特なリズムの文
好きな人は好きなんだろうな
俺には思いついたのをたらたら書いてる感じにしか思えなかった
俺の書いたレポートみたいな感じ
考えすぎて行動できなかったり言えなかったりはすごく共感できる
行動は単純だけど実は人殺しに至るまでいろいろ考えてたってことが書いてある
この不器用ででも頭では考えている感じが最強伝説 黒沢とか三四郎に似てる感じがした
wikiの河内十人斬りと違うのは別れるためじゃなく籍を入れるための金、金を貸していたのは息子の熊次郎ってところ

町田康コミュニティの紹介文が面白い

9000人以上いるコミュニティなのに書きこみが1日1回あるかないかで、ほんなら、それコミュニケーション取れてないやんけ、どこがコミュニティーやねん、どあほ。
そんならコミュニケーション取ったろとおもて、みんなで書き込んだらええやんけ。
でも、みんな町田康が好きやから、コミュニケーション取ろうと思えば思うほど、思弁のネガティブスパイラルに嵌まり込んで、ずるずるの白イルカみたいな頭で、考えてる事と書きたい事がどんどんばらばらなって、
しまいには「エシャーンかかってるから、もうええねん。それにしても今日は大八車に金剛山のおはぎがようぶち当たるわ。はは、おもろ」と各々ぐずぐずのぐたぐたな事を書き出し、コミュニケーションを取れず、己の対外能力のなさに絶望。
「おひょひょーん」と言いながら両手足をグルグルさせて発狂して環八の通り沿いにダイブ。滅亡。全員死ぬる。

あかんではないか。

そんなコミュニティです。


カルロス・サンタナ
幡随院長兵衛
猿春味噌汁飲腹痛

p198
熊太郎はいまの瞬間、自分の思想と言語が合一したことを知ったのである。思ったことがそのままダイレクトに言葉になった幸福感に熊太郎は酔った。しかし熊太郎はこうも思った。
俺の思想と言語が合一するとき俺は死ねる。滅亡する。

p267
「エシャーンかかってるからもうええねん」

p758
思弁と言語と世界が虚無において直列している世界では、とりかえしということがついてしまってはならない。考えてみれば俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそが取り返しのつかない、引き返し不能地点だ、と思っていた。ところがそんなことは全然なく、いまから考えるとあれらの地点は楽勝で引き返すことのできる地点だった。